2008/08/06 水曜日
さて、昨日午前中に4校を一応仕上げたのですが、
まだ単純ミスが3つも見つかると、やっぱり不安で
もう一度チェックしたくなります...手直ししたい所
は限りなくありますが、それをしていると某S先生の
本みたいに5年経っても姿を現さなくなりかねません
から(笑)それはもう恥を忍ぶことにして、単純ミスの
チェックをもう一度やっていたら、結局朝5時で....
今日は朝6時に家を出て8時15分の飛行機に乗る
ことになっています。通常通り出勤する息子の朝食の
支度をしたり、なんやらかんやらして空港へ。
当然機内では爆睡します。でもとにかく暑いから体力
が保つのかどうかちと不安...
出雲空港からはバスで出雲大社へ。まず拝観券を
ゲットしに案内所まで。もうここで大汗、気が遠くなりそう...
12時半からの拝観ということで、時間があるので
門前町に出てお蕎麦屋さんに。こちらは割子そば
という小さいセイロが重なっているのが標準らしい。
ちょっと贅沢してとろろやおろしなどのおかず
のついたのを注文。
10分前集合なので、また大社に戻りテントの中で待ちます。
「朝7時から既に6,000千人ご案内しました」って係員は
声を嗄らしていました。すごい人出。
冷たいお水のスタンドとか、空中に霧を散布する
扇風機みたいなものとか、お年より多いですから
熱中症対策いろいろ。
短パンダメとか、タンクトップダメとかご注意をうけていよいよ
本殿参拝へ..っていっても当然ながら本殿の写真撮れない
ので門までしかお見せできません。
この本殿を拝観させて頂けるのが65年に1度なんだとか、
まあ次はないというわけで、天井に色鮮やかな雲が7つ
描いてあるのを拝見するわけです。
それで本殿の方を見せて頂けるということなんでしょう。
今年はあんまり災難続きで、疫病神に取り憑かれて
いるみたいなので、どこで厄が落とせるか?と研究した
のは私ではなくボスなので、くっついてきただけの私には
あまり良くわかりません...
出雲大社の由来については、ミステリアスな
「逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎」が
面白いですね。
また近年、発掘により建築当時の威容がCGで再現されて
います。日本建築としては大変ユニークで、他の寺社建築と
まったく様相が違います。いや世界的にもこんな建築は例が
ないような?これが再現されたら面白いのに...
その後大社の周囲をぐるりと一周しましたが、背の低い
松や竹が多いため明るく、こんもりと丸みを帯びて
やさしげでなかなか良い感じです。
鬱蒼と檜の大木が茂る伊勢神宮の方が荘厳で、威厳を
感じますが出雲大社は親しみやすい..
って私は典型的縄文人ですからね。紛れもない弥生人の
ボスは伊勢神宮の方が良いと感じるそうです。
宿につくまでにどこか見物出来るのかしら?と調べて
みましたが、出雲市までの電車は1時間に1本、その後の
JRとの乗り継ぎを考えると、ちょっとどこにも行けそうも
ありません。
「少し早めに宿に着くしかないな」とボスは残念そうですが、
昨夜寝てない私は内心ラッキー!
居眠りしいしい電車を乗り継ぎ、今夜の宿「松園」に到着。
やれやれ生きてたどり着いたぞ!
安本美典氏の「出雲神話と邪馬台国」と言う本によると中海沿岸の島根県安来市が文献学的に根の国に比定されるとしています。そこには伊邪那美神のお墓が古事記の記述どうり比婆山にあり、イザナミの子、スサノオが「安来」という地名を名付けたと出雲神話にあります。また、出雲とは出鉄のことで、この地でさかんだった、たたら製鉄のことだという。げんに、スサノオの詠んだ日本最古の和歌「八雲立つ出雲?」は「焼雲立つ出鉄?」という意味でたたら製鉄の操業情景を歌ったものという解釈もある。
さらに考古学的にも重要な地域らしく籔田絃一郎氏や関裕二氏などはこの地の鉄が弥生後期に大和にながれ日本建国が成ったとしています。このように古代日本に重要な地域なのにひた隠しにされていた。これを暗喩的に批評したのが有名ジブリ映画「千と千尋の神隠し」らしいです。
須賀鹿男さん、はじめまして。出雲は製鉄が盛んだったのですか。その当時は最先端文明歳だったのですね?古代史は面白いですね。今は慌ただしく追い立てられて生活していますが、いずれゆっくり出来るときが来たら、研究してみたいと思います。